姉小路氏城趾の縄張りと発掘調査成果 

飛騨古川

はじめに

令和6年2月に国史跡に指定された「姉小路氏城趾」

「姉小路氏城趾」の歴史を学び本質的価値を伝えるガイド講座を受講しました

飛驒古川にこんなにも貴重な史跡があることさえ

この講座を受講するまで知りませんでしたが

とても興味深く、大変面白いお話だったので

こちらの記事にまとめようと思いました!

講座は3回を予定していて、今回は発掘調査と成果についてまとめます

遺跡と史跡の違い

遺跡とは、昔の人がそこで生活していた痕跡のある事をいい

史跡とは、遺跡の中でも重要で日本の歴史を正しく理解するのに欠かせない事をいいます

こんなに凄いものが飛騨市のなかに2つもある

この素晴らしさ、貴重さを学べる講座でした

発掘調査について

上空からの映像を参考に不自然な平地を山の頂に発見する

実際にその地に赴き、目で見て確かめる

石垣のようなものを発見し、丁寧に掘り進める

石垣の構造や土器や茶器などで時代を推測し調査を進める

というものでした!

事実と推測をたて飛騨の歴史を知り勧めていきます!

掘り進めることで城趾の全容が分かります!

この時代の城主がどちらを警戒し、どのような城を建てたのか

なぜそちら側を警戒したのか、誰が作った城なのか・・・考えることがたくさん(・・;)

地表から見えていた石垣は「金森長近」令和6年からだと500年前の人だそうです

壮大過ぎてよく分からないw(^_^;)

なんと、「金森長近」の城趾を更に深く掘り進めると奥からもう一つ石垣が!

こちらの石垣は「三木氏」によるもので「金森氏」に敗れた大名だそうです(;´∀`)

な、なんと、「三木氏」の石垣を掘り進めると「柱穴」らしき凹みを発見

こちらの「柱穴」が朝廷より飛驒国司に任じられた「姉小路氏」によるものだと考えられています

まとめ

今回の実地調査でわかったこと

歴史赤点女の分からなかった語呂

虎口

城の出入り口、攻めにくいように小さくしていることもあり「小口」とも言われる

曲輪

城を攻めにくくする場所、「廓」とも言う

金森氏

ゲーム「信長の野望」に登場

三木市と姉小路氏

アニメや漫画では見つかりませんでしたが分かりやすい記事を見つけました

武士も天下も興味はないが…心ならずも領民のために闘った戦国武将・三木国綱【上】 : Japaaan
「天下人に、俺はなる!」戦国時代というと、誰もが吹き荒れる下克上の嵐に乗じて成り上がり、天下に号令する野心を燃やしていたかのようにイメージされがちです。しかしそれは後世の創作で、現代と同じく立身出世に興味はなく、むしろ争いから距離をおくこと…

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