こんにちは。今日は、飛騨古川祭の屋台のひとつ「三番叟(さんばそう)」、その中でも壱之町上組(いちのまちかみぐみ)についてご紹介したいと思います。
実はこの「三番叟」、ちょっと特別な存在なんです。
■ 三番叟台とは?
「三番叟」とは、本来は能や狂言にも登場する舞の名前で、五穀豊穣や平和を祈るおめでたい演目です。飛騨古川祭では、からくり人形を乗せた華やかな屋台(やたい)のひとつとして登場します。
壱之町上組の三番叟台は、江戸時代中期に作られたとされており、女三番叟のからくり人形がとても有名でした。13本もの綱を5人で操るという精巧な仕掛けは、今見ても驚かされます。

■ 幻となった屋台
ところが1904年(明治37年)、古川の町を襲った大火によって、三番叟の屋台本体は焼失してしまいます。それ以降、屋台は修復されず、今も屋台そのものは存在していません。
でも、三番叟は消えていないんです。
現在も「女三番叟のからくり人形」と「猩々緋(しょうじょうひ)の大幕」、そして「屋台の名前が書かれた旗(台名旗)」が残されており、祭りの日にはその旗とともに曳行されています。
■ 静かな存在感
派手なからくりの実演はありません。豪華絢爛な屋台が並ぶ中で、静かに町を進む一台の旗。
それでも、いや、それだからこそ、見る人の心に残るのが三番叟です。
失われた屋台の記憶と、町の人々が大切に守ってきた思い。その両方を乗せて、今も壱之町上組は祭りに参加し続けています。
■ 記憶をつなぐ祭り
飛騨古川祭は、華やかさだけでなく、こうした“語られ続ける記憶”にも注目してほしい祭りです。
もし現地に行くことがあれば、ぜひ「台名旗」やからくり人形が展示されている様子も見てみてください。目立つ存在ではありませんが、そこには確かな歴史と町の誇りが宿っています。

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