城跡全体の説明
今から登城する「古川城跡」は令和6年2月21日に歴史的価値が評価され国史跡に指定された「姉小路氏城跡」の一つです。
昔の人たちが生活していた痕跡を「遺跡」といい、その中でも日本の歴史を正しく理解するために欠かせない「遺跡」を「史跡」といいます。「史跡」は日本全国で0,401%しかなく大変貴重なものです。
「姉小路氏城跡」は「古川城跡」の他に「小島城跡」「野口城跡」「小鷹利城跡」「向小島城跡」があり、「小島城跡」では「古川城跡」と同じように城跡ガイドさんがいらっしゃるので興味のある方は是非!
「向小島城跡」以外の城跡は一応訪問可能です。興味のある方、詳しくは「飛騨市教育委員会」へ
では、こちらの「古川城跡 入口」より
えぐい道を進み古川城跡を目指します
道幅は人一人分しかないので気を付けて進んで下さい






虎口について

地表に露出している1メートルほどの石垣は「金森氏」によるもの
付近の石ではなく権威を示すためにわざわざ運ばせたと考えられています。
発掘調査により、「金森氏」の石垣の下に30cmほどの石材を用いた石垣も発見されました。
この石垣は「三木氏」によるものと考えられています。
全体像としては「内枡形虎口」で右手側に2メーターほどの石垣を並べ正面の石垣に突き当たることで登城者を右折させます
上の曲輪に登るのに真っすぐ進めないのが、山城の特徴、攻め込まれにくさを生みます。

蛤石の説明
この今にも呪われそうな特級呪物は「蛤石」
今は一つしかありませんが、本来は雌雄二個存在し、日照りで困った人々が川へ沈めたところ大雨が降った、と言われています
とても特徴的な石なので「古川城」ではなく「蛤城」と呼ぶ人もいたそうです。

主郭・櫓台の説明
最も高いところにある曲輪は「天守櫓台」と考えらえ礎石による建物が発掘されています
また「天守櫓台」の手前にある最も広い曲輪は「主郭」と考えられ
「金森氏」による礎石建物
「三木氏」による5×3の礎石建物
「姉小路氏一族 古川氏」による掘っ立て柱建物が発掘されています


帯曲輪
主郭の周りには帯曲輪があり、その間は大規模な土木工事によって作られた人口斜面「切岸」があります
飛騨の山城の一番の魅力はこの「切岸」です!
山深く人の大侠が少ない飛騨だからこそ、踏み荒らされることなく、ほぼ当時のままの「切岸」が残っていると専門家の方は仰っていました!皆さんも後世のために大切にしていきましょう


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